★ 【銀幕市政変】ハイテクビルに潜入し調査せよ! ★
<オープニング>

 老若男女でごったがえす休日の銀幕広場に、その男は現れた。
 年の頃は四十代前半といったところか。恰幅が良く、うっすらと白髪の混じりだした頭髪を、たっぷりのポマードで後ろへなでつけている。脂ぎった丸顔は、お世辞にも好印象とは言い難かったが、両目にはみなぎるような気迫が宿っていた。
 彼は手にマイクを持っており、周囲ではスーツ姿の男女があわただしく放送の準備をしていた。
「銀幕市民の皆様、田原坂俊夫(たばるざか としお)でございます」
 田原坂の声がスピーカーを通して広場中にひびきわたる。それを聞きつけた市民たちが集まってきた。いまやそれくらいには、『銀幕市を救おう市民の会』会長である彼の名は広まっているのだった。
「この田原坂俊夫、本日は市民の皆様に銀幕市の窮状を訴えるべく参上いたしました」
 ここで拍手が起こる。スーツ姿の会員だけでなく、聴衆の中にも手を叩いた者が多数いた。
「ここ銀幕市に神の子の魔法がかかって以来、幾多の災厄が市民の皆様に降りかかって参りました。チョコレートキングによる武力侵略、タナトス兵団の襲来、ネガティブパワーと穴の出現、レヴィアタン討伐などなど、小さなものまで挙げだせばきりがありません。あえて極端な申し上げ方をしますと、皆様の命は常に危険にさらされていると言えましょう」
 田原坂の論調は淡々としたものである。であるがこそ、聞く者たちの不安をあおっていく。
 いくら市役所の対策課がそのつど解決しているとは言え、銀幕市に住む者にとってムービーハザードやムービースターの存在が脅威であることにかわりはない。魔法がかかって二年以上が経過し、もはや日常茶飯事のレベルにまで落とし込まれてはいるが、市民の命にかかわる事件も毎日のように起こっているのだ。
「もちろん魔法のすべてを否定しているわけではありません。ムービースターは、それこそ夢のような存在であり、かくいう私も映画ファンのひとりとして、この銀幕市の住民となることに恋い焦がれておりました。俗なことを申せば、ムービースターがいることによってこの街の観光地としての価値は世界一となっておりますし、そのおかげで私たちの生活が潤っていることもまた事実なのです。しかし、彼らが一般人にはあらがいがたい強い力を持っていることもまた事実。いま皆様の隣にいるムービースターが、指を少し動かしただけで、不可思議な言葉を一言発しただけで、もしくは目に見えることなど何も為さずに、皆様の命を奪うことも可能なのです」
 その場にいたムービースターの何人かが憤慨し、田原坂に詰め寄ろうとした。
「いいでしょう。私をどうこうしたいというのなら、そうしなさい。しかし、あなた方ムービースターが、洗脳の魔法なり技術なりを使って、私にムービースターを擁護する発言を強制しても、銀幕市民の意志すべてを止めることなどできはしませんよ?」
 市民たちがそのムービースターたちを白い目で見はじめる。そうなってしまえば、彼らには何もできない。
「何度も申し上げますが、ムービースターは強大な力を有しております。それに対し、私たち一般市民はあまりにも無力であります。しかし、いま、私たち市民を守るべき頼みの綱である行政が、みずからの利権や保身にばかり走り、そのトップである市長までもが汚泥に身を浸している現実があります」
 連日ニュース番組を騒がせている柊市長の汚職疑惑は、だれもが周知のものであり、ため息をつく者も少なくはなかった。
 柊市長に汚職疑惑が持ち上がったのはここ数日。市民オンブズマン団体でもある『銀幕市を救おう市民の会』の告発によるものだった。『ムービースター見学ツアー』を組んだRTB旅行社に特別な便宜を図り、賄賂を受け取ったという内容のものだ。市長の働きを信頼していた市民たちの間に衝撃が走ったことは当然として、くだんの『ムービースター見学ツアー』に関しても大きな議論が巻き起こりつつあった。
 柊市長はこのツアーのために、一部のムービースターに多額の報酬を与え、ツアー客たちを接待させていたのだ。基本的に、ムービースターが対策課の依頼を受けた場合、その報酬はゼロである。市長とムービースターとの間には透明なつながりしかなかった。ところが、今回のことで市長が一般市民よりもムービースターを優遇しているという意見が多数寄せられることとなったのだ。
「この疑惑に関しまして、皆様もご存知のとおり、柊市長は謝罪会見も釈明会見も開かず、ただ私邸にて隠れ過ごしております。やましいことがなければ、その旨を公の場でつまびらかにすべきでありましょう。また、真実が私どもの調査したとおりであるなら、柊市長はなんらかのかたちでその職責をまっとうすべきと思われます。市長みずからがそれを行わないとするならば、私たち市民がみずからのために動かざるをえません。よって、私ども『銀幕市を救おう市民の会』は柊市長のリコールを請求する署名運動を行うに至ったのであります」
 盛大な拍手が巻き起こった。いつの間にか銀幕広場は、彼の演説を聞きに集まった者たちであふれていた。
 田原坂は両手で拍手を制すると、話をつづけた。
「もうすでに多くの市民の皆様から支持をいただいております。もしまだ署名のお済みでない方がいらっしゃれば、是非ご協力いただきたい。行政が守ってくれぬのなら、みずからの身はみずから守るしかありません」
 スーツ姿の男女が、すかさず「ご協力をお願いします」と、聴衆の間を名簿を持ってまわる。すすめられるままに、氏名と住所を記入していく市民たち。
「みずからの身はみずから守らなければならない。この点に関して、私どもはもうひとつの提案も同時に行いたいと考えております。それは、民間のハザード鎮圧組織の立ち上げでございます。私たちの命を危険にさらすムービーハザードに対して、これまで市の対策課は有志のムービースターやムービーファンに委託することによってそれを消滅せしめてきました。逆を申せば、ムービースターやムービーファンによる厚意がなければ、私たち一般市民はハザードに対してまったくの無防備ということになりましょう。言い換えれば、私たちが生きるも死ぬもムービースターの手のひらの上、とも言えます」
 署名する人々の手が止まっているのを確認して、田原坂は笑顔を見せた。
「皆様の疑問もごもっともでございます。ハザードの鎮圧は、いわゆる私たちエキストラにはどだい無理な話でございます。しかし、私たちはその無理難題を解決する手段を模索しつづけ、結果として手に入れつつあるところなのです」
 全員が固唾を呑んで、その手段とやらの発表を待った。
「その手段とは――まだここで明らかにすることはできません。マスコミなどに発表できる段階になりましたら、しかるべき場所で皆様のお耳に入れることができるでしょう」
 田原坂はしれっとはぐらかした。
「銀幕市民の皆様、みずからの安全のため、今こそ立ち上がるときです」
 柊市長のリコールを請求する署名に、広場にいた市民たちがぞくぞくと記名していく。銀幕市に住む有権者の3分の1がこれに名を連ねたとき、柊市長の解職の是非を問う住民投票が行われることになるのだ。



 佐野原冬季(さのはら とうき)は対策課の応接室で、植村直紀(うえむら なおき)と向かい合わせに座っていた。
「ご依頼の件、ある程度調べがついたので、ご報告に来ました」
「市長は本当に報道にあるようなことをしてしまったのですか? それとも、この事件にはなにか裏があるのですか?」
 身を乗り出して訊ねる植村をそっとソファに押し戻し、「まずは落ち着いてください」と冬季はお茶をすすめた。客人にすすめられては立場が逆なのだが、それがわからないほどに植村は焦っていたと言えよう。
 苛立ちを隠しきれないまま日本茶をすする植村に、冬季が調査結果を報告しはじめた。
「植村さんもご存知のとおり、今回のリコール請求運動の主な原因は市長の汚職疑惑です。結論から言うと、市長の疑惑は真実です。関係者の証言からも裏付けがとれました。もちろん物的証拠は入手できませんでしたが、まず間違いないと思います」
 あまりの衝撃に植村は湯飲みを取り落とした。テーブルのうえに飲み残しがこぼれる。
「し、信じられません。あの柊市長が……」
「まぁ、そう慌てないでください。ただし、この汚職疑惑を告発した『銀幕市を救おう市民の会』が非常にきな臭いのです」
「きな臭い?」
「はい。少し調べてみたところ、会員のほとんどが銀幕市外に戸籍を置く者たちであり、会長である田原坂俊夫も出自不明でした。組織に流れ込む資金の大元も巧妙に隠してあるらしくまだ判明していません。いったいどこが『銀幕市を救おう』なのかさっぱりわからない状態ですね」
 冬季が皮肉げに唇をゆがめる。
「では、その『銀幕市を救おう市民の会』が?」
「ええ。なんらかの形で事件の裏側に関わっている可能性があります」
「だとしたら、目的はなんなのでしょうか? 柊市長を追い落として、いったいなんの得があると? まさか、その会長の田原なんとかが、次の銀幕市長におさまる気ではないでしょうね?」
「わかりません。ただ、もし彼らが今回の件を仕掛けたのだとしたら、非常に悪辣な手段を使ってくる連中です」
 珍しく冬季が怒りの表情を見せた。
「と、言うと?」
 植村はわけがわからず訊ねる。
「では、植村さん。あなたはこの事件に関して今後どう動きますか? 柊市長を信じているあなたはリコール請求の署名には名前を書かないでしょうし、他の知り合いにも書かないようにすすめるかもしれませんね」
 植村はうんうんと大きくうなずいた。
「さて、ここで問題です。では、ムービースターはどうでしょう? どう動くでしょうか?」
「それは――『銀幕市を救おう市民の会』は公然とムービースターを批判していますからね。彼らに反発して、署名を行わないのではないですか? あれ? でも署名を行わなかったら、市長との黒いつながりを認めてしまうことになるんですかね?」
「そうです。リコールが成功してもしなくても、ムービースターは悪と決めつけられてしまうのです。事態を根本から解決しない限りは。しかし植村さんの解答ではまだ不十分です」
 冬季の怒りはそこに向けられているのではなかった。
「いいですか。私たちムービースターは、法律上存在しないことになっています。なにせ夢の中の存在ですからね。正式な戸籍もなければ、実は人権すら持ち合わせていないのです。もちろん、選挙権なども有していません。つまり、有権者でない私たちムービースターには、柊市長のリコール請求に署名する権利も、署名を拒否する権利も最初からないのです」
 植村は「あ」と口を大きく開けた。
「私たちムービースターはこういう場合まったくの無力です。運命の決定を他者にゆだねるしかない。ただ手をこまねいて見ているしかないのです。この茶番劇の結末は最初から決定づけられいるのですよ」
 うなる植村に、冬季がつけ加える。
「リコール運動ほど声高には主張していませんが、会長の田原坂が提案していることがもうひとつあります。民間のハザード鎮圧組織の設立です。私の推測でしかありませんが、さらにそちらもなにかしらの裏があると思います」
 お茶で喉を潤す冬季に、蒼白になった植村がかさねて依頼する。
「とにかく、私は柊市長の無実を信じています。お願いです、柊市長を救ってください」
「柊市長になにが起こっているのか、その件に関してはすでに手は打ってあります。それから、ハザード鎮圧組織に関してもちょっとしたアテがあります。問題は『銀幕市を救おう市民の会』ですね」
「ほ、報酬なら、なんとかボーナスを前借りしてでも……」
 あわてふためく植村に、冬季が苦笑する。
「いえ、そうではありません。『銀幕市を救おう市民の会』の本部は東京にあるのです。私は銀幕市から出ることができませんから、直接調査におもむくことができません。市外に出ることができるムービーファンやエキストラの方々に協力をお願いするしかなさそうですね」
 冬季はすでに依頼を出すべき人物を考えはじめていた。人選は適切でなければならない。なにせ市外には、魔法の力など存在しないのだから。
 植村が胃のあたりをおさえながら、背広のポケットからストマライザー10を取り出している。そうとうストレスが溜まっているようだ。
 その様子を見て、冬季はもうひとつ気にかかっていることを植村に伝えないことにした。これ以上心配事を増やすのは気の毒に思えたからだ。
 少し前に彼は市役所のトイレのドアを通って、異世界へと依頼を果たしに出かけたことがあった。そのときに、とあるサイボーグのムービースターが、謎の組織に関するデータを手に入れることに成功した。データの解析は難航しているが、そのデータファイルの中に田原坂俊夫の名があったのだった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 佐野原冬季の依頼を受け、幾人かのメンバーが集まった。いずれも銀幕市の未来を憂う者たちだ。
「みなさんには、これからとあるハイテクビルに潜入し、調査してもらいます」
 集まった一人が「そのビルと今回の事件との関連性は?」と質問する。
「『銀幕市を救おう市民の会』が民間のハザード鎮圧組織を設立しようとしているのはご存知ですね? しかし、ハザードの鎮圧など一般人にできるはずもありません。そこでアズマ超物理学研究所を少し調べてみました。そういったことを可能にする手段を市民の会が手に入れているとして、その手段を開発できる場所といえばアズ研しかありませんからね」
 皆一様に「なるほど」とうなずく。
「ビンゴでした。東博士はプライドの高い人なので内密に処理したようですが、ひと月ほど前に研究成果の一部を盗まれているようです。犯人の足取りを追った先にあったのが、そのビルなのです。しかも、おもしろいことに、ビルの名義は田原坂俊夫――市民の会の会長でした。もちろん、なんらかの危険が待ち受けている可能性は高いでしょう。じゅうぶんに準備を整えてから挑んでください」

種別名シナリオ 管理番号934
クリエイター西向く侍(wref9746)
クリエイターコメントパーティーシナリオを含めて十六本目のシナリオになります。西向く侍です。
今回は長らく続いてきました尊師なる人物との最終決戦、その幕開けのお誘いに参りました。
ただし、過去の関連シナリオをご覧にならなくとも楽しめる内容となっておりますので、お気軽にご参加ください。

以下、プレイング記入時の注意事項です。

▽本シナリオの作戦目的は、『銀幕市を救おう市民の会』の会長が所有するハイテクビルに潜入し、彼らがアズマ超物理学研究所から盗んだという研究成果を利用しなにを企んでいるのか調査することです。
可能であろう調査方法を記入してください。ただし、事実が判明すればそれでよいので、無理に物的証拠などを入手する必要はありません。

▽問題のハイテクビルは35階建てで、ムービーハザードではありませんが、会長の田原坂の手によって要塞と化しています。監視カメラや各種トラップ、または侵入者排除のためのムービースターなどが配置されています。じゅうぶんに準備を整えて臨んでください。
また、彼らがアズ研から研究を盗んだのは、ハザード鎮圧組織を設立するため、です。その点にじゅうぶんご注意ください。

▽柊市長の身に何が起こったのか、および『銀幕市を救おう市民の会』が実際はどのような組織であるのかは、別シナリオで別PC様が解決に向かって奮闘される予定ですので、プレイングにて触れる必要はありませんし、触れてもノベルには反映されません。

▽本シナリオと『【銀幕市政変】東京へ遠征し調査せよ!』および『【銀幕市政変】柊市長を監視し調査せよ!』とは同時進行のシナリオ・イベントとなりますので、同一キャラクターによる重複参加はご遠慮ください。

参加者
ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
晦(chzu4569) ムービースター 男 27歳 稲荷神
須哉 久巳(cfty8877) エキストラ 女 36歳 師範
ヘンリー・ローズウッド(cxce4020) ムービースター 男 26歳 紳士強盗
<ノベル>

−−カフェスキャンダル PM3:00

 『銀幕市を救おう市民の会』会長の田原坂俊夫(たばるざか としお)が所有するそのビルは、35階建てのまさに要塞だった。
 そのことがはっきりしたのは、佐野原冬季(さのはら とうき)の調査によるものだ。
「具体的にどのような警備がなされているかはわかりません。わかりませんが、複数の戦闘系ムービースターやSF映画出身のメカニックマンの出入りが確認されていますので、それ相応の準備をしていかれた方がいいでしょう」
 とは、冬季の台詞だ。
 それを受けて、カフェスキャンダルに集まったのは、四人の志願者たち。
 まずは、ヴァンパイアハンターであるシャノン・ヴォルムス。彼はヴォルムス・セキュリティという名の警備会社を経営しているため、その経験も買われての参加だ。
 次に、妖狐である晦。その変化の能力は潜入や探査に向いている。いざとなったときは逃走や脱出もお手の物だ。
 ファレル・クロスは、その類いまれなる特殊能力が評価されての参加だ。特に物質分子の分解と再構成は本任務において十分な効果を発揮するだろう。
 そして、須哉久巳(まつや ひさみ)は今回依頼を受けた唯一のエキストラであり、ムービースターでは対処できない事態に備えるべく同行していた。
 もうひとり、ヘンリー・ローズウッドは、常のように仲間のもとには姿を現していなかった。
 同志を前にして、まずはシャノンが口火を切った。
「依頼人である佐野原氏からは、俺がリーダーを務めるように言われているが。それで問題ないか? もし異存があるなら今のうちに言ってくれ」
「経験のうえからも、シャノンさんが最も適任でしょう」
 と、ファレル。
「わしはそういうのは苦手やからな。シャノンに任せるで」
 と、晦。
 最後に久巳も同意を示すようにうなずいた。
「ありがとう。では、それぞれの作戦行動についてだが……なにか意見は?」
 ファレルが真っ先に意見を出す。
「今回の目的は、アズ研から盗まれたという研究データの概要を探ることですよね? だとすれば、あまり事を荒立てたくありませんね。私は自分の身体を分子レベルにまで分解することができます」
 シャノンがほぅと感心を表す。
「それなら、敵に気づかれずに潜入できるな」
「はい。しかし、分子分解中は外界を知覚できても、周りに影響を及ぼすことはできません。つまり、分子を再構成してこの姿に戻らなければデータを探すことも持ち帰ることもできないのです」
「行動を起こそうと思えば、リスクと隣り合わせということか」
「わしやったら――」
 晦だ。
「極力小さいものに変化すれば、それなりに動けるわ。鼠とか猫とかな。紙束とかやったら、口にくわえて移動したりもできるしな」
 シャノンは腕を組んで思案している。なにやら決めかねているようだ。
「……問題は、俺たち四人――本当はもう一人いるんだが、このメンバーでは多勢に無勢だという点だ。そうやって侵入するのはいいが、どうしても警備員を退けなければならない状況に陥ったとき、単独ではいかんともしがたい。警備の者がスターだったら、尚更だ」
 それまで黙っていた久巳が代替案を出した。
「あたしが囮になるよ。あんたたちと違って、あたしは何か特別な力があるわけじゃないからね。それくらいしか役に立たないさ」
「いやいやいやいや、そりゃ危な過ぎるで」
 晦が真っ先に反対した。
「女性を危険にさらすのは私もあまり気乗りしません」
 ファレルも口をそろえる。
「あたしはこれでも空手道場の師範だよ。自分の身ひとつくらい自分で守れるさ」
 久巳は自分だけが安全な場所に身を置くことを嫌っているようだった。それでもしつこく異を唱える晦とファレル。困った久巳はリーダーであるシャノンに視線を向けた。シャノンはしばらく考えたあと、さらなる代替案を出した。
「囮作戦は有効だな。しかし、囮になるのは久巳ではなく、俺たちだ。ビル内に潜入、調査しつつ、なにか証拠らしきものを発見した時点で、俺たちが騒ぎを起こす。その混乱に乗じて、久巳には証拠の奪取をお願いしよう。エキストラであるからこそ、一番怪しまれずに堂々とビルに入れるはずだからな」
「なるほど、それやったら危険度はわしらも久巳さんもおんなじやな」
 納得しただろうとばかりに晦が言う。もちろん自分のアイディアではないのだが。
 少々納得のいかない様子だったが、これには久巳も黙って従うしかなかった。
「じゃあ、あたしはなるべく怪しまれないように客としてあのビルに入ることにするよ」
 こうして作戦の概要は決定した。
 久巳は何喰わぬ顔でビルに入り込む。ビルにはいくつかの店舗が入っているようなので、そこの客になれば造作もないことだろう。シャノンとファレルと晦はそれぞれの方法で秘密裏にビルに侵入して調査する。なにかしらの証拠を見つけた場合、その三人が騒ぎを起こし、そのすきに久巳がそれを手に入れる。久巳が客として行くため、決行は夕刻が選ばれた。夜間こそ警備が厳重であろうというシャノンの判断もあった。



−−ハイテクビル前 翌日PM3:00

 久巳は久しぶりに袖を通したフォーマルな服装に、我ながら失笑を禁じ得なかった。
 敵地とは言え、まさか胴着姿で問題のビルを訪ねるわけにもいかない。さんざん悩んだ挙げ句、以前道場関係者の結婚披露宴に出席した際に新調したスーツを着ることにしたのだ。特定の趣味の女性が見れば、男装の麗人然としていて黄色い悲鳴をあげそうだ。しかし、彼女の愛弟子は腹を抱えて家中を転げ回った。
「ったく、二回目だってのに笑い過ぎなんだよ」
 披露宴に出席するため初めてこの姿になったときに、さんざん笑い転げたはずなのだ。
 弟子に愛の鉄拳制裁を加えたあと、久巳は憤まんやるかたないまま、ハイテクビルの前に立った。
「さて、気持ちを切り替えるか」
 久巳はすっと表情を消し、次の瞬間にはにこやかな笑みを浮かべていた。近所の八百屋でオマケしてもらうときによく使う笑顔だ。
 正面の自動ドアをくぐると、中は思った以上に閑散としていた。
 そもそもこのビルは商業ビルとして建てられたものだった。しかし、なぜかテナントはあまり入っていない。14階までだ。その事実こそが、このビルが別の目的のために造られたものだと物語ってはいまいか。
 真っ直ぐに受付けへと向かう。受付嬢は『市民の会』とはなにも関係ないのか、久巳に向かって無防備な笑みを投げかけた。
「このビルに『銀幕市を救おう市民の会』の事務所があると聞いたんだけど」
 まったくの嘘だ。
「そのような事務所は当ビルにはございませんが……」
 揺さぶりをかけてみたのだが、受付嬢は本当に何も知らないようだった。困った顔をしている。
「じゃあ、田原坂俊夫って人が持ち主のテナントは?」
「田原坂オーナーですか? オーナーが所有していらっしゃるテナントは――」
 受付嬢が手元の資料をめくる。
「30階になりますが、そこにはなにもありませんよ?」
「そうかい、手間を取らせて悪かったね。3階はエステなんだね。たまにはお肌の手入れもしなくちゃね」
 久巳はきびすを返すと、エレベーターへと足を運んだ。さらに情報を収集してもよかったが、ここで一悶着起こして目立ってしまっては意味がない。とりあえずは、エステ店にでも隠れて時が来るのを待つことにした。



−−ハイテクビル5階 PM3:15

 こりゃあ、思ったより大変やなぁ。
 とは晦の心の声だ。
 鼠に変化して通風口から侵入したはいいものの、そこら中に監視カメラが仕掛けられており、自由気ままには身動きがとれないのだ。まさに猫の子一匹通さない勢いだ。
 ま、わしは鼠やけどな。
 しかし、さすがに鼠までは防げないようで、何度かお仲間にも出くわしたのだった。
 嗅覚と聴覚をフルに活用して、情報を集めようとしているのだが、今のところ変わった様子はまったくない。3階のエステ店にしろ、各階の店舗は通常の営業をしており、『市民の会』とは関係ないようだった。なにか出てくるとしたら、店舗がまったく入っていない15階より上だろう。
 晦はゆっくりと着実に上階へと昇っていった。

 対して、ファレルはすでに20階に到達していた。
 それこそ、分子レベルにまで身体を分解して移動するのだから、晦のように監視カメラに注意を払う必要もない。
 ふん、監視カメラや各種トラップですか……果たして他に何が待ち受けているのやら。
 ファレルの目には多くの罠が映っている。赤外線センサーや警報装置など、15階に入ってから一気に警備が厳重になった。
 さて、さっさと依頼を終わらせて、この茶番劇を終了させる事を考えるとしましょ――
 そのとき、ファレルの肩を――正確には分子レベルに分解された肩の部分を――あろうことか熱線が貫いた。苦痛のあまり、思わず能力の行使が解けてしまいそうになる。
「生体エナジー感知。攻撃を続行します」
 見ると、廊下の奥から男性――いや、それに似せたアンドロイドらしきムービースターが銃口をこちらに向けていた。どうやら分子分解していても感知できる機器を、アンドロイドは備えているらしい。
「おまけにムービースターと来ましたか」
 呟いて、分子の粒と化したままその場を立ち去ろうとする。予定外にしろ、見つかってしまったのだから、自分は陽動を開始するしかない。そういう手筈になっているのだから。
 上の階に秘密があるのだとしたら、敵を下の階に引きつけるべきだろう。
 分子分解の状態で肩口をおさえながら、ファレルはアンドロイドを引きつけつつ、今度は逆に階段を下りていった。

 田原坂俊夫か、アジテーターとしての才能はなかなかのものだな。扇動する側はともかく、扇動された者の末路は大抵宜しくない結果になるのが相場だが。
 詮ないことを考えつつ、シャノンは目標のハイテクビルと隣接する高層ビルの屋上に立っていた。
 晦とファレルが下から攻めるなら、自分は上から攻めようという魂胆だ。
「仕事に取り掛かろう」
 屋上の縁で独白すると、助走も付けずに踏み切った。
 魔鳥の翼のごとくに黒々としたコートの裾を翻し、ヴァンパイアハンターはハイテクビルに降り立つ。
 もちろん空からの侵入者に対しても、ビルのセキュリティは完璧だっただろう。なにせここは銀幕市だ。天かける者など幾多も存在する。
 シャノンは驚異的な視力で屋上に設置された監視カメラの位置をすべて把握しており、その死角に降り立った。しかもすぐさま霧状に変化することで視覚的には姿を消している。
 そのまま扉から建物内に入った。



−−ハイテクビル?階 PM?:??

「侵入者が出たらしいぞ」
 中央制御室のモニター前で同僚が口笛を吹いた。
 『彼』は侵入者のことなど興味なさそうにキーボードを叩く。その青い瞳にはパソコンの画面が映し出されていた。ビル内の警備データが流れている画面が、だ。
「この侵入者、分子レベルにまで自分の身体を分解してるらしいぞ。ホントにスターってのは厄介だな。『スターバトル2』のアンドロイドがいなきゃ、見つけられなかったとこだ」
 そこで『彼』の手元が止まった。
「捕まえたのか?」
 同僚が「いや、まだだ」と答える。
「アンドロイドの生体センサーにしか反応しないからな、捕まえるのに時間がかかりそうだ」
「そうか」
 『彼』はまた作業に戻る。
 そんな『彼』を見て不信に思った同僚が問いかけた。
「おまえ、いったい何やってんだ? そもそも今日は休みじゃなかったか?」
「警備システムの調整さ。今日のうちにやっとかないと、オーナーに大目玉を食らうからな。今日、ここに来てるんだろ?」
 同僚は「ふぅん。熱心なこったな」とそれ以上の興味は示さず、迷い込んだ鼠――ファレルの駆除に乗り出した。
 その間にも、『彼』の脳にはビルのセキュリティのすべてがインプットされていく。すべてを把握するにはまだ時間がかかりそうだった。



−−ハイテクビル17階 PM3:45

 鼠のまま17階まで上がってきた晦は、そこでファレルとすれ違った。すれ違ったと言っても、晦には分子化したファレルを視認することはできない。ただ、アンドロイドが時折レーザーを放ちながら、廊下を駆ける様から想像しただけだ。
 なぜかはわからないが、ファレルが見つかったのだろう。見つかった場合は陽動要員になると事前に決めてあった。
 一瞬、援護に入ろうかとも思ったのだが、それではせっかくの陽動の意味がない。分子レベルの敵すら発見する相手に捕捉されては、自分など相手を引きつけることすらままならないだろう。これはある意味ファレルにしかできない役割だ。
 すまんな。もう少し辛抱してくれや、ファレル。
 晦は敵の目がファレルに集中している間に、各階を細かく探索することに決めた。屋上から下階に向かっては、シャノンが調査しているはずだから、あわてて上に行くよりもそちらの方が効率がよい。
 17階をくまなく捜査しようと最初に飛び込んだ部屋で、ある人物を発見して、晦は心底驚くことになった。
 なんや?! なんで佐野原はんがこないなとこにおるん?
 拘束具をつけられ、ご丁寧に目隠しまでされているのは、まさしく佐野原冬季その人だ。
 彼とはたしかにここ数日会っていない。作戦の決行はリーダーであるシャノンに一任されていた。そして、つい昨夜のことになるが、自ら市長内偵の指揮を執っていると思われていた冬季が実は偽物だったという情報も入っている。
 ほなら、ここに捕まっとる佐野原はんが本物っつーことかいな……
 とりあえず、通気口から這いだして床に飛び降りる。冬季の背後からそっと近づいて、監視カメラに映らないように肩までよじ登った。
「佐野原はん、わしや、晦や」
 耳元で囁く。
 冬季はぴくりと顔を上げ、すぐに何事もなかったかのように元の姿勢に戻った。
「ようやく来てくれましたね」
 こちらも吐息のように細い声で応じる。
「いつの間に捕まっとったんや?」
「すみません。詳しい話しはあとで。それよりも、シャノンさんたちも来ているのですか?」
「そや。このあとわしらが騒ぎを起こす手筈で、そのときに久巳さんがあんたを助けにくるはずや」
 まずはこの場所を久巳に教えなければ。
 超小型の通信機は冬季より支給されたものだ。鼠の姿の今は、首から下げている。
「わかりました。それまでに拘束具を解いておくとしますか。少し囓ってもらえますか?」
「しゃーないな」
 晦は拘束具の一部を切れやすくするために、自慢の前歯を使いはじめた。
 この数分後、「わしは阿呆かっ!」と一人ツッコミの末、手の平サイズの小刀に変化して、拘束具にさっさと切れ込みをいれたのは、まぁご愛敬といったところだ。

 ヴォルムス・セキュリティ社長は、監視カメラの死角を縫って移動していたものの、それがすでに限界に近づいていることに気づいていた。死角が少なくなりつつあるのだ。これでは移動に時間がかかってしようがない。
 もちろんあとのことも考えて、トラップも解除できるものは解除しながら進んでいる。だから、歩みが遅くなっても仕方ないのだが。それにしても……
 ったく……警備というには厳重過ぎるな。
 どうやらこのビル、上階が当たりだったようだ。それだけはわかる。ここまでして誰も近づけたくないものがここにあるのだろう。
 一瞬の気のゆるみか、はたまたそれこそ限界だったのか、シャノンの長髪の先端が赤外線センサーに触れてしまった。
 舌打ちするも、派手な警報などは鳴らない。このビルには普通の店舗も入っているからだろう。
 その証拠に、すぐさま数人の足音が近づいてくるのを、シャノンの聴覚は捉えていた。
 あまり事を荒立てたくないが……手向かうなら話しは別だ。
 現れたのは完全武装の軍兵だ。手にした得物は小型の拳銃だけ。建物内ということを考慮してのことだろう。
 シャノンは懐から銃を出そうとして、やめた。殺しはせずに気絶させる程度にとどめておこうと考えたからだ。今回の任務は殺しではない。
 しかし相手は殺意を持って向かってくる。
 拳銃が火を噴いたとき、シャノンは床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴って、兵士たちの眼前に舞い降りている。
「しばらく眠ってもらう」
 風のように兵士たちの合間をすり抜けると、バタバタと全員が気絶している。その手並みの鮮やかなこと。
 その後、シャノンはなぜか男たちの装備を逐一手に取り調べだした。
「ハザード鎮圧組織を設立すると言っていた。対スター用の兵器があっても不思議ではないと思っていたが……実用化はまだということか?」
 お目当ての物はそこになかったようだった。
 さらにシャノンを追いつめるべく、軍靴の響きが廊下に響き渡る。
「こちらシャノン。敵に見つかった。あとは任せた」
 小型通信機で仲間に連絡すると、作戦どおりにシャノンは陽動を開始するのだった。



−−ハイテクビル15階 PM4:00

 なし崩し的に15階まで戻ってきたファレルだったが、ここで決断を迫られることになる。ここから下は通常のテナントが入っている階なのだ。
 果たしてこのアンドロイドはこの先も追ってくるのだろうか。ここであきらめてくれれば、久巳と合流することもできるだろう。しかし、あきらめずに追ってこられたら追ってこられたで、一般人に被害が出る可能性がある。
 彼の出した結論は――
「ここで決着をつけましょうか」
 分子の粒子と化していた身体を再構築して、ファレル・クロスという一個の生命体へと戻った。
「もし追いかけてこられたりしたら、一般人を守りながら戦うのは難しいですからね」
 映画『スターバトル2』から実体化したアンドロイドは、どこかぎこちない動きでレーザーガンを構えた。その熱線は、分子レベルで破壊活動を行う。それは先刻撃ち抜かれた肩で身にしみている。
「これならどうです?」
 ファレルは自分の胸前で、空気中の水分を凝固させ、ぶ厚い氷塊を作りだした。分子を操る彼にとっては造作もないことだ。
 熱には氷。彼の思惑は当たらずとも遠からず。
 レーザーを受けてもファレルは無事だった。だが、氷もまた文字通り霧散した。
 次の照射までの隙間を縫って、ファレルが攻撃を繰り出す。駆け寄りながら、サイコキネシスでアンドロイドの腕を曲げようと念じる。敵のボディは鋼鉄よりも硬く、膂力は人間の数十倍なのか、なかなかねじ曲がらない。もっと近づかなければ。
 じゅっと空気を光線が焼いた。
「危ないですね」
 かろうじて氷の楯で二度目の射撃をふせぐ。
 この距離では三度目は防ぎきれないだろう。最後は力比べだ。
 レーザーガンの銃口を、アンドロイド自身に向けようと、ファレルが念を絞る。
 ぎぎぎと金属のきしむ音。アンドロイドは無表情にファレルを見下ろす。アンドロイドの意志に反して、銃を持つ手がゆっくりと動いた。
 射線は逸れた。だがそれはファレルの心臓から逸れたに過ぎない。このままでは、頭頂をかすめてしまう。
 アンドロイドの指先が引き金を引こうとする。
「ぐっ」
 そのとき、後背から呼び声がした。
「ファレル、力をゆるめてしゃがみな!」
 咄嗟に言うことをきき、サイコキネシスを解いて床に伏せた。
「久巳さん?!」
 疾風のごとくに現れた久巳は、その勢いなどなかったことにするかのように、アンドロイドとファレルの目前で急停止した。
 トップスピードそのままに敵に攻撃を加えると思っていたファレルが驚きに目を丸める。
 ただ一閃。アンドロイドの手首に軽く手刀を当てただけ。
 それだけで、正確無比なロボットの手元は狂い、自らの頭部をレーザーガンで打ち抜き、がらんどうのように倒れ込んだ。
「はン! 不思議そうな顔してるねぇ」
 立ち上がるファレルに手を貸してやりながら、久巳は笑顔を見せた。
「自分が全力を尽くしてできなかったことを、こうもあっさりとやられてしまうと、そりゃあ目も点になりますよ」
「何事も力ずくなんて、若者のやることさね。人間と骨格や筋構造が同じなら、操るのは簡単。それこそ手刀ひとつで十分」
「柔よく剛を制す、というわけですね。勉強になりました」
 ぺこりと頭を下げる。
 対して久巳はパタパタと手を振った。
「そんなことより、すでに乱痴気騒ぎがはじまってるみたいじゃないか」
 そう言って、自分の耳を指さす。そこには小型通信機が付けてある。
 ファレルは自身を分子化する際に、通信機も分子化していたため、通信を聞くことができなかったのだ。
「分子化の弱点ですね。で、状況はどうなっているのです?」
「シャノンは30階付近で交戦中。晦は、17階で、捕まっていた佐野原冬季を見つけたようだよ。あたしはどさくさに紛れてそいつを助けにいくところさ」
「私もご一緒しましょう。思った以上にこのビルは危険です」
「それをあんたが言うのかい?」
 久巳はニヤニヤしている。ファレルは少しばつが悪そうに「次は足手まといにならないようにしますよ」と言った。



−−ハイテクビル?階 PM?:??

「こいつはどうなってんだ?! 上から下から、こんなに侵入者がいたんじゃ、オーナーにどやされるだけじゃ済まないぞ。いやいや、少なくともオーナーのいる30階には近づけられない」
 同僚はすでにパニック状態だ。データベースに照会して、32階で暴れているのがムービースターのシャノン・ヴォルムスであり、15階でアンドロイドを倒したのがこれまたムービースターのファレル・クロスらしいというところまでは判明している。
 この時点で、鼠に化けた晦と、監視カメラの潰れた15階にしか姿を現していない久巳の存在がばれていなかった。
「そう簡単にはすべてのセキュリティを破れやしないだろ?」
 『彼』はひどく疲れた様子で瞼を揉みながら同僚の方に向き直った。ずっとモニターを見つめていたから、さすがに眼球が痛む。パソコン関係にも強い『彼』だったが、こういった作業はあまり好きではない。事象を手先と口先でどうにか丸め込んでしまう方が性に合っている。
「まぁ、ムービースターが何人来ようが、アレがあればどうってこたないんだが……」
 同僚が心配しているのは、オーナーがアレを使うところまで追いつめられては、自分たちの仕事が失敗したのと同義だという点だ。その前に食い止めるのが『彼』らの仕事なのだから。
「おまんまの食い上げだけは御免だぜ」
 同僚は意を決して、戦力の全投入を指示しようと、部下たちへの連絡用マイクを手にした。
 その腕を『彼』がそっとつかむ。
 怪訝そうに『彼』を見つめる同僚。
「それは困るね」
 『彼』の口調が変わっている。
 いや、口調だけではない。声音も、体格も、顔も、すべてが同僚の知っている『彼』ではなかった。
「少々眠ってもらおうか」
 ぱちん。『彼』が鼻先で指を鳴らすと、同僚は深い眠りに落ちていた。まさしく種も仕掛けもない。
「いやはや、面白いものを見せてもらったよ」
 そこに立つのはシルクハットの紳士強盗。『彼』が強奪したのは、同僚の意識、ハイテクビルのデータ、『市民の会』の裏の顔。そしてアズマ超物理学研究所から盗まれたものを、今まさに盗み返した。
「田原坂俊夫……いや、尊師と名乗る傲岸不遜な男。君たちがこの理不尽なユメにどう対抗しようというのか、見せてもらったよ。面白いね。面白いけど――」
 ヘンリー・ローズウッドは、不機嫌そうに唇を歪め、いつの間にか手にしたステッキを持ち上げた。
「――あまり気にくわないやり方だ。もう少し見せてもらうよ」
 ふぃん。ステッキを振ると、すべてのセキュリティ・システムがダウンする。
 コンピュータの灯りが消えて、真闇に沈んだ中央制御室に、奇妙に調子のはずれた笑い声が木霊した。



−−ハイテクビル31階 PM4:20

「さて、久巳からの情報だと、この下が田原坂のエリアらしいが」
 シャノンは数回の交戦により、だいぶ消耗していた。
 人間の兵士だけならまだしも、サイボーグや宇宙人といったものまで守備についている。いずれ劣らぬ猛者ばかりだった。途中でトラップの類がすべて沈黙したため助かったようなものだ。
「さて、誰がセキュリティ・システムをダウンさせたのか……」
 ファレルと久巳は17階で冬季の救出中だ。晦はシャノンの指示で29階まで上がってきている。もうすぐ合流できるだろう。
 ふと、シャノンの脳裏に『彼』の顔が浮かんだ。もしこれが『彼』の仕業ならば、らしいと言えば『彼』らしい。かといって、本当に『彼』であるのなら、アテにするなどもってのほかだろう。
「さて、次が問題の30階か」
 シャノンは気を引き締めて階段を降りた。
 降りはじめてすぐに、彼はなにかしらの違和感を感じた。得体の知れぬ違和感だ。
 その違和感がリアルとなって彼の前に現れる。
「シャノンやないか!?」
 なんと階段を駆け上がってきた晦と出くわしたのだ。事は一秒を争うということで、彼はもう人間の姿に戻っていた。
「30階はどうやったんや?」
 晦の問いが、シャノンの違和感に答えを与えた。
 階段が長かったのだ。今までよりも格段に。
 シャノンも晦も30階に向かったはずだ。それなのに二人とも30階に到達することなく、ここで顔を合わせている。
「確認だが、おまえは29階から来たんだな?」
「そ、そうやけど……まさか、31階から来たっちゅうんやないやろな?」
 シャノンは静かにうなずいた。
「30階への入り口なしかい! どうなっとんのや」
「秘密の入り口があるということか」
 シャノンと晦はひととおり階段の踊り場や壁などを調べたが、どうにも突破口は見えてこない。そこに欲しい物が落ちているのに、手が届かないもどかしさに悶える。
「ここまで来て手ぶらで帰るんは勘弁やで」
「俺も、そのつもりはない。晦、ついてこい」
 シャノンが29階へと降りていく。
「なんや妙案でもあるんか?!」
「中央制御室を見つけたと言っていたな?」
「ああ、20階にそれらしきもんがあったで」
 晦もまたそのあとに続いた。



−−ハイテクビル17階 PM4:20

 久巳とファレルは動かなくなったセキュリティ・システムのおかげで、無傷のまま17階にたどり着いていた。守備兵もシャノンの方に割かれているらしく、たいして多くもなく、久巳の体術とファレルの能力で軽く退けることができた。
「セキュリティ・システムが止まったことで、指揮系統が乱れているようですね。敵の出現が散発的過ぎます。相手も行き当たりばったりなのでしょう」
「たしかに。こっちの動きが少しでも把握できてるなら、もっと上手く駒を動かすだろうね」
「誰がセキュリティを止めたのでしょうか?」
「さぁね。誰だっていいじゃないか。こうしてあたしたちが得をした、それだけで十分」
 久巳はいたって楽天的だ。
 晦から連絡のあった部屋にはロックがかかっていたため、ファレルがサイコキネシスで鍵ごと破壊した。
「ファレルくんに久巳さん。よく来てくれましたね」
 冬季は危機感のかけらもない風情で床にあぐらをかいていた。晦の協力もあり、拘束は自力で解いてあるものだから、なおさら呑気な雰囲気だ。
「まったく、拍子抜けするねぇ」
 久巳は苦笑しつつ腕を組んだ。
「あんたが間抜けをやらかしたおかげで、昨夜ひどい目にあった人たちがいるんだよ」
「どうやらそのようですね。その点に関しては申し訳ないと思っていますよ。それで、戦局は?」
 ファレルが、聞き及んでいる限りで昨夜の市長内偵の顛末も含め、現状をかいつまんで話した。
「なるほど、市長が入れ替わっていましたか」
 冬季自身も入れ替わっていたのだが、そこにはあえて触れない。
「そうなれば、市長の無実は晴らせそうですね。入れ替わりの事実こそ、柊市長が実行犯ではないという証拠ですからね。あとは、すべてが『市民の会』の仕業だったという証拠を、東京遠征組がつかんでくれば……」
 すべてを解決に導けるだろう。
「だったら、あたしたちはもう引き上げてもいいってことかい?」
「いえ、このままアズ研から盗まれたデータの真相を突き止めましょう。後顧の憂いは断っておくにこしたことはありません」
「そう言うと思ったよ」
 久巳は肩をすくめた。
「それにしても――」
 ファレルが外を見張りつつ言う。もう打ち止めなのか、敵影はない。
「その研究成果とやらはどこにあるのでしょうかね?」
「データの状態で保存してあるなら、コンピュータ内を探るのが一番早いのですがね。システムがダウンしているのではそれも難しいでしょう」
 冬季の答えに久巳が続ける。
「『市民の会』ってのは、民間のハザード鎮圧組織を立ち上げようとしてるんだろ? だったら、その盗まれた資料ってのはスターおよびハザードを無効化するようなもんだろうさ。だとしたらさ、何かしらの形になってるって可能性はないのかい?」
「すでにスターやハザードを鎮圧する兵器か何かになっていると?」
「そういうこと」
 ファレルがはっとした表情を作った。
「ということは、スターであるシャノンさんと晦さんに危険が迫っているということでは?」
「うーん、シャノンも晦も、その点には思い至ってると思うけどね。無茶しなきゃいいけど」
「尚更、研究成果を早く見つけ出さなければいけませんね。私にひとつ考えがあります」
 ファレルの提案に、久巳も冬季も「それでいこう」と賛意を示した。



−−ハイテクビル30階 PM4:35

 田原坂俊夫は苛立ちのあまり力一杯デスクを蹴りつけ、逆に脚を痛めて涙目になった。
「くそっ!」
 八つ当たりをする相手も、今はいない。彼はひとりだった。
 そもそも今日ここに来たのは、東京にいる彼の同志と連絡をとるためであり、内密の用件であるため、秘書すら連れてきていなかったのだ。
 中央制御室から侵入者アリの報告を受けてからすでに1時間半もの時間が経っている。にも関わらず、侵入者制圧の報告はなく、むしろ外のセキュリティ・システムは停止してしまっているようだった。
 この30階は隠し階の構造になっており、一定の手順を踏まなければ立ち入ることができないようになっている。さらにはこの階だけシステムが独立しているため、まだセキュリティが生きていた。侵入者がここまでやって来る可能性はゼロに近かったが、それにしても不安でならない。
「尊師とかいう輩の口車に乗ったおかけで!」
 銀幕広場にて演説していた際の温厚な笑顔はすっかり成りを潜め、醜悪な怒気がその顔かたちを彩っていた。
 上手くすれば次の銀幕市長になることができる。そう説きほだされたのは、数ヶ月前のことだ。
 銀幕市といえば、世界一の観光収入を誇る街だ。日本国の首都東京など比較にならないほどの魅力と価値を有している。そこに集まる富も半端なものではない。
「絶対にうまくいくと言ったくせに!」
 絶対などという言葉は自分自身がもっとも信用していないくせに、こういうときは関係ないようだ。
 どこで計画が狂ったのだろう。柊市長と入れ替わったロボットが昨夜へまをやらかしたときか。このビルに侵入者を許してしまったときか。それとも――
「最初から、狂っていたとは思わないかい?」
 質問は唐突に、どこからともなく。
 田原坂は「ひっ」と軽く悲鳴をあげて、腰を抜かした。
 部屋の中央にヘンリー・ローズウッドが立っていた。
「きっ、貴様、いったいどこから?! せ、セキュリティはっ?!」
 酸素の足りない金魚のように口をパクパクさせる。
「さて。スターである僕の奇術、特に脱出と消失のソレが理不尽で曖昧である限り、どんなビルだろうと論理に寄ったシステムに守られているなら、僕の侵入は拒めない。その僕を拒みたいなら、より理不尽で曖昧で概念的な術で守ることだけれど、どうかな?」
 田原坂はヘンリーの言葉の断片すらも理解できない。けれど、この奇術師には最新のセキュリティ・システムなど意味がないのだと、そこだけはわかった。いや、わからされた。
「わた、わた、私を殺す気か?!」
 田原坂の狼狽ぶりに、ヘンリーは思わずきょとんとなった。ついで笑い出す。
「殺す? 殺す、か! まったく興が削がれるね! そんなつまらないことのために、僕はこんなところには現れないよ」
「ど、どういうことだ?」
 殺されないと知って、少し余裕が出たのか、田原坂が聞き返す。
「ミスター田原坂。君たちが手に入れたチカラはどうなんだろうね?」
 質問に質問で返され、田原坂も口ごもらざるをえない。
「アズマ超物理学研究所から盗んだチカラだよ」
「貴様、どこでそれを!」
「ふぅ、君は本当に面白くないな。定番の反応しかかえさない。簡単なことさ。ここのデータベースに訊いた」
「ここにあるデータはほんの一部のはずだぞ! それだけで――」
 ヘンリーは、しっと人差し指を唇に添えた。
「以前にね、ミスターアズマのところからデータを盗み出したことがあってね。今回も同じ手を使ったってわけさ」
 『彼』は中央制御室でデータを盗み出しただけではなかったのだ。そこからアズ研のデータベースにハッキングし、ふたつのデータを付き合わせることによって、すべてを知った。
「君たちのスターに対する反感……いや、悪意といった方がいいかな。それには多少なりとも期待してるんだよ。さぁ、見せてくれないかな、そのチカラを。どこにあるんだい? そうでなければ、ここまで来た意味がない」
 ヘンリーの瞳がゆるやかな狂喜を映す。田原坂の鼻先にステッキが突きつけられた。
 そのとき、部屋のドアが開き、シャノン、晦、ファレル、久巳、冬季の四人が現れた。

 30階で四人が合流したのは、まったくの偶然だった。
 シャノンと晦、ファレルと久巳と冬季が、それぞれに30階に到達する手段を得て、それぞれに進んだ先で出会ったのだ。
 晦を従えたシャノンは、まず中央制御室へ行った。この場所は晦が事前に見つけており、そこに人がひとり眠らされていることも知っていた。
 シャノンはその男に、魅惑の邪眼を行使したのだ。彼の邪眼に魅入られた者は、自在に操ることができる。そうして、30階への行き方を聞き出したのだ。
 一方、ファレルたちも似たような方法で30階への道を切り開いていた。
 ファレルが自身の身体を分子レベルにまで分解し、田原坂俊夫にそっくりな姿に真似て再構築したのだ。それほど鮮明な記憶ではなかったので、細かい点は違っていたが、それでも他人を騙すのには十分だった。
 こうして警備兵の中でも高位の者を探しだし、騙して、30階への行き方を教わった。
 時間を食う方法だったが、シャノンたちが中央制御室へと移動する時間等と相殺され、30階にほぼ同時に到着することになったのだった。
 そして、シャノンと晦を先頭に、田原坂の居室へと乗り込んだ一行が目にしたのは、へたりこむ田原坂と、ステッキを突きつけるヘンリーだった。
「やはりおまえだったか、ヘンリー」
 シャノンが微苦笑する。
「おや、シャノン。君も来ていたのかい」
「わざとらしいやっちゃな」
 晦もため息をつくしかない。
 その会話の隙をついて、田原坂が動いた。デスクの下に潜り込み、隠されていたボタンを押す。
 ヘンリーは反応できなかったのか、する気がなかったのか、止めることはなかった。
「ここのセキュリティは独立しているんだ!」
 誰にとはなく自慢げに田原坂がほざいた。
 ヘンリーがふわりとその場から飛び退いた。
 シャノンが久巳と冬季に退がるように指示する。晦とファレルが戦闘体勢で前に出た。
 四方の壁に小さな黒い点が無数に開く。レーザーの発射口だと気づいたのは、シャノンだけだったろう。
「晦! 防御を!」
 言いつつ懐から二丁拳銃を引き抜く。
「任せときっ!」
 晦の胸元で宝玉が赤い光をにじませる。
 音もなく殺戮光線が放たれた。
 色とりどりのレーザーが、彼らを蜂の巣にしようと躍起になる。
「久巳さん、わしの後ろへ」
 晦が宝玉を掲げると、その力により、レーザーがあらぬ方向へと湾曲した。いくつかのレーザー発射口が同士討ちとなり、潰れる。
 シャノンは銃弾で着実にひとつずつ発射口を破壊しながら、レーザーの雨を避けている。
 ファレルはすぐまた分子分解の状態となって、田原坂のもとへと駆け寄っていた。アンドロイドの攻撃と違い、この熱線は分子状態のものまで傷つけることはできないようだ。
「ここがこの部屋で唯一の安全圏でしょうからね」
 デスクの下で頭をかかえてうずくまる田原坂。攻撃命令を出した者まで殺害してしまうようでは、兵器とは言えない。ここだけは攻撃が来ないようにプログラムされているだろうとは、正しい読みだ。
 安全圏で実体を取り戻したファレルは、田原坂の襟首をつかんで「攻撃を止めてもらいましょうか」と睨みつけた。
 田原坂があわててもう一度ボタンを押すと、レーザー攻撃はやんだ。
「油断も隙もないビルやな」
 晦が焼けこげた着物の袖を切なそうにいじりながら言った。
「まったくだね」
 そう言うヘンリーはどこか楽しそうな様子で、ふわりと天井から降り立った。いつの間にか田原坂のいるデスクの上、天井に避難していたらしい。どうやって張り付いていたかは、それこそ奇術だ。
「さて、観念してもらおうか」
 六人の銀幕市民に囲まれ、ついに諦めたのか田原坂は両手を挙げて降参した。



−−ハイテクビル30階 PM4:45

「わ、私は利用されただけだ! あの尊師とかいう男に騙されたんだ!」
「はいはい、わーったわーった」
 後ろ手に拘束した田原坂を「とっとと歩け」とばかりに、晦がうしろからこづく。
「黒幕まで捕まえたんやから、市長さんの汚職疑惑事件はきっぱり解決やな」
 晦が上機嫌で大笑する。
「それはそれで解決なのだろうが……田原坂、貴様がアズマ超物理学研究所から盗み出した研究データはどうなっている?」
 シャノンが訊ねた。
 今回の作戦の目的はそこにあったはずだ。『銀幕市を救おう市民の会』がアズ研から盗み出したという研究資料。そして、それをもとに造りだそうとしている物。
 シャノンは言った。対スター用の兵器があっても不思議ではないと思っていたが、と。
 久巳は言った。その盗まれた資料ってのはスターおよびハザードを無効化するようなもんだろうさ、と。
 晦もその危機は感じ取っていた。ハザード鎮圧組織を立ち上げるにいたるほどのレベルの、ハザードやムービースターへの有効な対抗手段を保持しているのでは、と。
 田原坂は無言だ。
「黙秘かいな。くすぐったろか?」
「……それはな」
 田原坂が重々しく口を開く。
「それは?」
 田原坂が会心の笑みを浮かべていることに、ようやく晦は気づいた。
 彼らが向かっているのは30階の出口だ。ここから脱出しなければ、ビルの外へ出ることはできない。しかし、それは向かう先がひとつに固定されてしまうということでもあった。
 待ち伏せにはもってこいの状況だ。
 ドアを開くと、そこには奇妙な形の武器をかまえた男たちが整然と横一列に並んでいた。数は、8名。
「しまっ――」
 つぶやきは誰のものか。
 リーダーらしき人物が無言で腕を振り下ろした。それを合図に、全員がショットガンのような形状の武器からエネルギー弾らしきものを撃ち出した。
 全員が咄嗟の判断で、それらを回避しようとする。
 だが、あまりの至近距離だ。シャノンは右足に、ファレルは脇腹に、冬季とヘンリーは胸元に、それぞれエネルギー弾を受けてしまった。着弾点から光が炸裂する。
 その瞬間、シャノンが、ファレルが、冬季が、ヘンリーが、4人の時が停止した。
 これはまさしくスチルショットの効果だ。
 その形は通常のスチルショットよりもメカニカルで無骨。むき出しのエネルギーチューブなどはいかにも急ごしらえといったイメージだ。そして、本来ならバッキーがおさまるはずの場所には――
「プレミアフィルムとは趣味が悪すぎる」
 久巳が激しい怒りの眼光を、その偽ファングッズに突き刺した。
 ムービーファンでなくとも、バッキーがおらずとも、万人が使用可能なファングッズ。これこそが『銀幕市を救おう市民の会』が、民間のハザード鎮圧組織設立の切り札としているものだのだろう。
「1分、だったっけ」
 スチルショットによりスターの動きを止めることが可能な時間――1分。
「あんたら全員叩きのめすには十分すぎるね」
 久巳がじりと歩を進める。
「ま、そやな」
 晦が何食わぬ顔で彼女に並び立った。右手には木刀がにぎられている。
 彼は田原坂を蹴り飛ばし、自らの楯としたのだ。
「いやぁ、あいつがめっちゃいやらしい顔で笑いおるもんで、思わず蹴飛ばしたったら、ちょうど身代わりになってくれてな。らっきーってやっちゃな」
 と、さらにラッキーな出来事が起こる。男たちの偽スチルショットがすべて煙を噴いているのだ。どう見ても、再度の射撃は難しそうだ。
「ふぅん、本物は10分間チャージって話しだけど、こいつらのは一回きりみたいだね」
 男たちは腰に差していた、これまた偽ディレクターズカッターを手にした。
「ファレルたちを、やらせはせんで!」
 晦が、襲いかかってきたひとりと斬り結ぶ。彼の木刀は、破邪の紋が刻まれた霊刀なのだが、夢の産物であることには変わりない。偽ディレクターズカッターの刃が、木刀に切れ込みを入れる。
「うはっ! わしらの武器は通じひんのかい!」
 あわてて相手を蹴り飛ばした。
「やけど、こいつら剣術は素人やな」
 一方、久巳はすでに二人を昏倒させていた。
 俗に刀を持つ者と素手で闘う場合、相手よりも数段上の実力が要されると言う。ところが、久巳には義手があった。ディレクターズカッターは対スターや対ハザード専用であり、義手でも簡単に止めることができた。
 斬撃を、時に受け止め、時に受け流し、一撃で敵を気絶させていく。
 気がつけば、本当に1分もかからず、8名の偽ファン部隊は全滅していた。
「すまない。油断した」
 ようやく動けるようになったシャノンが謝罪する。
「すみません」
 ファレルもまたすまなさそうに頭を下げた。
「あたしなんて、このために来たようなもんだからね」
 久巳は「気にするな」と手を振る。
「予想通りというか、予想を超えていたというか。これは面倒なことになりそうですね」
 たいして慌てた風もなく自分の肩を叩いているのは冬季だ。
 ヘンリーは……動かない。とうに1分経っているというのに。
「ヘンリー? どないしたんや?」
 晦が不審に思って声をかける。それでも反応がない。
「触ってみろ」
 とのシャノンの言に従って、彼がヘンリーに触れてみると、その姿は幻のように消え去った。
「うわっ! なんやこら!」
「最初からすべて知っていたんだろう」
 ヘンリーはすべてを知ったうえで動いていた。だから、こうなることも予測して、スチルショットに撃たれる寸前に幻とでも言える偽物にすり替わっていたのだ。
「ったく、退場もまともやないな」
「ともかく、さっさとここを出ましょう。時間が惜しい。この偽ファングッズの解析も必要になったのではないですか?」
 ファレルの手には動作しなくなった、偽スチルショットと偽ディレクターズカッターが握られていた。
 田原坂の身柄を確保したことにより、『市民の会』や黒幕に関するより具体的な事実が発覚するであろう。それにより、柊市長の汚職疑惑は幕を閉じるはずだ。しかし、これらの恐ろしい偽ファングッズの存在が、それぞれの胸に暗澹たる想いを抱かせていた。



−−ハイテクビル?階 PM?:??

 そして、強盗が快活に笑い出す。
「くっくっく。面白いことになりそうだね」
 そして、探偵が陰鬱に語り出す。
「謎はすべて解けた――だが、謎が解けたからといって、登場人物が幸せになれるわけではない」

クリエイターコメント大変大変お待たせいたしました。
最近このコメントしかしていない気がします。

みなさんの活躍のおかげで、アズ研から盗まれたデータがどのような結果をもたらしたのか判明いたしました。
漠然とした予想を持ってらっしゃった方も多かったようですが、具体的に偽ファングッズと明記された方がいらっしゃらなかったので、少々痛い目にあってもらいました。

次シナリオが最終決戦となります。よろしければそちらにもご参加ください。
公開日時2009-03-24(火) 19:30
感想メールはこちらから